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2017年4月26日更新
海外旅行などで経験する時差ボケ。多くの人を悩ませる時差ボケの原因を、お茶の水女子大学の郡宏准教授と京都大学の山口賀章助教および岡村均教授の研究グループが数学とコンピュータによるシミュレーションによって解明、さらに薬などを使わずに時差ボケを軽減する方法を提案し、ネズミを使った実験でその有用性を確認しました。時差ボケの症状の軽減だけでなく、シフト労働者の体の負担を軽減するようなスケジュール作りにも応用できる可能性があります。4月26日付け科学誌「Scientific Reports」に発表しました。
レジャーや仕事で海外旅行をされる方は睡眠不足や食欲不振などの不調、いわゆる時差ボケに悩まされた経験があると思います。そして、日本からアメリカに移動した時とヨーロッパに移動した時では、アメリカへの移動のほうが辛いと感じる人が多いかもしれません。実は実験室でネズミの行動を観察すると、この時差ボケの差を明確にとらえることができます。12時間ごとに明暗を切り替えることによって昼夜のリズムを与える実験室で、ある時に昼夜のリズムを8時間早めることによって、東向きの旅行、例えば、日本からアメリカ西海岸に移動するときに経験する時差を模倣することができます。時差を与えると、与える前に比べて8時間早く朝や夜が来るようになります。このとき、ネズミは時差ボケ状態におちいり、新しい昼夜のリズムに順応するのに1週間から10日程度もの時間を要します。ところが、日本からヨーロッパに移動するときに経験するような8時間遅らせる時差に対しては、ネズミはずっと早く、3日から4日程度で新しい昼夜のリズムに順応します。
時差ボケの原因は私達が体の中に持つ体内時計にあります。体内時計は体中の細胞1つ1つが持っていますが、それらを束ねるのが、時計細胞とよばれる脳の中の神経細胞の集まりです。時計細胞は各々が約24時間周期で遺伝子発現を繰り返しており、このリズムのタイミングを集団で合わることによって全体で強いリズムを作ります。この強いリズムが体中の細胞に影響を与えることによって、体内時計は機能しています。コンサートホールでの演奏会に例えると、昼夜の1日のリズムが指揮者のリズムに、演奏者のリズムが脳の時計細胞のリズムに、そして聴衆のリズムが体中の細胞のリズムに対応します。時差は指揮者が突然そのリズムを変更することに対応し、そのときに、オーケストラや聴衆が、指揮者の新しいリズムについていくのに少し時間がかかることが時差ボケであるといえます。
さて、実際に体内時計には何が起こっているのでしょうか。過去の研究から、時差を与えると、脳内の時計細胞のリズムが大きく乱れることが知られていましたが、それは複雑で詳しい観察が難しいものでした。そこで、リズム集団の振る舞いを数式で表し、その数式を解いたりコンピュータ・シミュレーションを行ったりすることによって、時計細胞集団のリズムを予測しました(図1)。その結果、現地時間が遅れるような時差、つまりある日の1日が長くなると、時計細胞のリズムは現地の昼夜のリズムよりも先行した状態になりますが、集団のリズムのよくそろったままで、数日で現地のリズムに合わせることができることがわかりました。
ところが、現地時間が早まるような時差、つまりある日の1日が短くなると、時計細胞のリズムが昼夜のリズムより遅れるだけではなく、集団のリズムがバラバラになってしまい、全体としてのリズムがほぼ失われた状態に陥ることがわかりました。そして、この状態に一旦陥ると、時計細胞同士のリズムを再び合わせるのが難しくなり、さらに、乱れた周りの時計細胞の影響で昼夜のリズムにもなかなかタイミングを合わせることができず、結局、時差ボケからの回復が長引くことがわかりました(図2(a))。数式から予測されたこのような結果は、これまでネズミの行動や脳の中で観察されていた体内時計の様子を矛盾なく説明できるものでした。
研究グループは、これらの結果から、時計細胞のリズムがバラバラになるのを防げれば、時差ボケから早く回復できるという予想をしました。そこで、8時間の時差を2日間にわたって4時間ずつ与えることをまずシミュレーションで試した結果、リズムはバラバラにならず、そして時差からの回復が数日早まることが確認できました。この結果を受け、ネズミを使って同様の実験を行うと、シミュレーションの予測の通り、時差ボケからの回復が本当に数日早まることが確認されました(図2(b))。
この方法は私達の旅行時に簡単に試すことができます。アメリカ西海岸にいくときに、途中1日、ハワイを経由するというのも有効だと考えられますが、これを実践するのは時間的・経済的に難しいかもしれません。もっと簡単な方法があります。旅行の1日前に、普段より数時間早起きすればよいのです。一度に経験する時差が短くなることによって、脳内の時計細胞がバラバラになることを防ぐことができ、その後の順応がスムーズになることが予想されます。ただし、12時間の時差などの長い時差に対しては、6時間ずつにわけると逆によりひどい時差ボケになることがシミュレーションで予測されているので注意が必要です。
これまでに提案されてきた時差ボケの軽減方法と比較すると、脳内の時計細胞集団の振る舞いを考慮に入れている点が、本研究の画期的な点です。これを可能にしたのが、数学とコンピュータを用いた予測です。この手法は、シフト労働者の負担を軽減するようなスケジュール作りに応用できる可能性があります。
脳の時計細胞集団は、視交叉上核と呼ばれる組織を形成しており、これが約24時間のリズム、いわゆる概日リズムを作り出しています。本研究でキーとなるのは、特定の範囲の時間を進める時差を与えると、視交叉上核の時計細胞群の位相がバラバラ(脱同期)になることです。シミュレーションでは、7時間から11時間程度の時差の範囲で観察されます。この脱同期が起こる理由は以下のとおりです。まず、時差からの回復には、環境の時間進行から相対的に見て、体内時計を進めるか戻すかの2つの方向がありえます。前者は毎日少しずつ早起きしていくこと、後者はその逆に対応します。時差の大きさによってどちらかが選ばれるのですが、マウスの場合は、8時間の前進の時差に対しては、体内時計を前進させて、12時間の時差に対しては後退させることによって回復します。これはマウス個体の反応ですが、時計細胞にも同様の性質があります。ここでポイントとなるのは、視交叉上核の時計細胞群は、正常な条件下でも振動位相にある程度のばらつきのある、不均一な集団であることです。そのため、例えば8時間の時差を与えたとき、集団の一部の細胞群は前進して、他の集団は遅らせて新しい昼夜リズムに合わせようとすると考えられます。このため、集団の位相が一時的にバラバラになります。しかし、集団には位相を揃えようとする相互作用もあり、やがてまたもとの秩序状態に戻りますが、バラバラになっている間は昼夜のリズムへの反応もまちまちになり、回復が遅れると考えられます。このように、時差に対して、前進、あるいは後退で合わせようとする境目は、時差への反応を理解するための重要な概念であり、本研究ではこれをジェットラグ・セパラトリックス(時差分岐点)と名付けました。
本研究は主として、科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業(CREST)「生命動態の理解と制御のための基盤技術の創出」(JPMJCR12W2, JPMJCR14W3)と科学研究費補助金(15H05876)によって行われました。
Hiroshi Kori, Yoshiaki Yamaguchi, Hitoshi Okamura:
“Accelerating recovery from jet lag: prediction from a
multi-oscillator model and its experimental confirmation in model animals”.
Scientific Reports 7, 46702 (2017).
doi:10.1038/srep46702
お茶の水女子大学 基幹研究院 准教授 郡 宏(こおり ひろし)
電話:03-5978-5563
Email: kori.hiroshi@ocha.ac.jp
京都大学 薬学研究科 助教 山口 賀章(やまぐち よしあき)
電話:075-753-9522
Email: yoshiy@pharm.kyoto-u.ac.jp
京都大学 薬学研究科 教授 岡村 均(おかむら ひとし)
電話: 075-753-9522
Email: okamurah@pharm.kyoto-u.ac.jp
お茶の水女子大学 企画戦略課(広報担当)高木、小林
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京都大学 総務部 広報課 国際広報室 菊地
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